人生の味変

人生が退屈で退屈でしかたがなかったのが今年という一年だった。生きてる限り周りも自分も変化し続ける。友達が結婚したり、年収が増えたり、親が老いたり、本当は目を凝らすといろんなことが起きているんだけど、全てに対して「ああそういう感じね」という、 18歳までに身につけた偏見のコレクションが遺憾なく力を発揮し何でもかんでもをパターンに当てはめて新鮮さを奪っていく。物事に触れれば触れるほど鈍感になっていく様がなんか特盛のラーメンを8割ぐらいまで食ったときと同じだなと思って、ああ味変、味変しないとな。そうだな。なんて考えてたら大学受験して退職して合格して引っ越しをしていた。

つまり近しい誰かから受け取るものではなく、どこかの特別頭のいい人が「これを身につけるべき」と考えたものを自分の中に強制的に取り入れることで閉塞感から脱却しようということだけど、本当にそれであなたの悩みは解決するんですかねという強めの反論がすでに自分の中から湧き始めているし、あるいはこんなのは無意識が作った建前で、悩む余地すらない混乱に自分を放り込んで人生をごまかしたいだけなのかもしれない。よいお年を。